2017年6月17日土曜日

【神社ブログ】日本人の中にある記憶 生まれは関係がないというけれどやっぱり関係がある気がする

人は皆平等、生まれは関係が無いと言いますが、やはりDNAに受け継がれた何かはあるのではないかと感じます。
日本人はやっぱり日本人であり、日本人だけが日本人なのだなと思うのです。

私は大阪中心部にある神社だけですが、結構な数の神社を参拝して回りました。
その中でやはり色々と思うわけですが、神社はこうあるべきだという気持ちも生まれました。


この写真は豊崎神社ですが、とても雰囲気が良いと思いませんか。
写真だけでは伝わりにくいかもしれませんが、とにかく多くの木々の中にある神社なのです。
理屈ではありません。
神社境内には沢山の木が生えている方が良いと、私はなんとなく感じていたのですね。

そうは思っていても、単純に自然が好きだからそう感じていたのだと私は考えていました。
自然が好きだから、神社に限らず全て自然の中にある方が良いのです。
でも他の施設が自然の中にあったとしても、私はそれを意識する事は無かったでしょう。

例えば旅行に出かけて旅館に泊まります。
自然の中に有ればその自然が素晴らしいとは感じますが、これぞ旅館だとは思いません。
夜景の綺麗な旅館でも、海に近い旅館でも、富士山が見える旅館でも、私は同じように良い旅館だと思ったはずです。
でも神社は、自然の中にあってこそだと感じるのです。

その気持ちも、特に不自然には思わないし、どうしてだろうかと考える事はありませんでした。
ごく自然に感じていたからです。
そんな時、ある神社庁のサイトで、こんな説明を見つけました。

『杜とは、聖域の事である』

この言葉で、なんとなく思っていた事がハッキリとしたんですよね。
そもそも杜(森)そのものが神聖な場所と考えられていたのです。
日本とは、そういう感性をもった人達が集まってできた国だったんです。
言われてみて気が付きました。
御神木も有れば、神様が降りてくるのも木だったりします。
おみくじは木に結びますし、私が大好きな素盞烏尊神社のアマテラスちゃんが現れたのも木でした。{笑}

亜人種であるエルフは、人間よりも森を大切にする人種です。
同じ人間ですが、DNAに刻まれた考え方の違いというのは、確実にあります。
これはファンタジー世界の話ですが、今世界に住む人間だって人種で分ける事ができますし、同じ人間ですが違う部分はあると思うのです。
キリスト教の教会は森の中にあってこそ素晴らしいと、アメリカ人は感じますかね。
日本人の作り上げてきた神道の神社だからこそ、日本人は杜の中が似合うと感じるのではないでしょうか。

まあそう感じない日本人も沢山いるかもしれませんけれどね。{苦笑}

教えられなくても肌感覚で理解できる事があります。
肌感覚はおそらく、人種や民族によって、或いは個人レベルでも当然違いがあると思います。
それが個性であり、日本人は他と区別できるのだと思います。

私はこの肌感覚を大切にしていきたいです。
やっぱり日本人って良いですから。
そんな日本人の心そのものである神社、これからも見て回りたいと思います。

一応言っておきますが、別の民族や国の人を差別しようと言っているわけではないですからね。
当然別の民族や国の人には、違った良い所があるはずですから。
そして良い所というのは、きっと共感しあえると思うのです。
ただ、悪い所は知りませんよ?{苦笑}

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