2017年6月16日金曜日

【神社ブログ】表参道に架かる橋 川もないのに何故か橋があるその理由とは?

神社に行くとたびたび、『どうして?』と思う事があります。
どうして鈴を鳴らすのだろうかとか、どうして二拝二拍手一拝なのだろうかとか、数え上げたらきりがありません。
だから全てを取り上げて説明するのは無理ですが、今日はその中で特に『どうして?』と感じるコレについて考えてみたいと思います。


写真は野里住吉神社の参道ですが、何か普通では考えられないおかしな所がありますよね。
右側の木が凄いとか、そうじゃないですよ。{笑}
左側に写っている橋です。
川も無いのに橋があるのです。
どうしてでしょうか?
探せばこういう神社は結構あります。
本当に元々川らしきものが有った場合もありますが、参道や拝殿の正面に意味も無く橋がある事はあるのです。

意味も無く、ではないはずです。
おそらく何か意味があるのです。
今日はそれを少し考えようと思います。

以前写真紹介サイトの方でもこの話題は取り上げたかと思います。
その時は、あの一休さんのトンチから、橋を置く事で端を歩きなさいという意味があるのではないかと私は言いました。
参道は、真ん中は神様の通る道とされ、端を歩かなければなりません。
それを忘れない為に橋が置かれているという考えです。

でも普通の人はそんな事に気が付きますかね?
一休さん世代の人間にしか分からない可能性もあります。{汗}
ちなみに一休さんって、皇族男系男子なんですね。
そう考えるとまた見たくなってきたわけで、何処かの地上波で放送してくれると嬉しいです。

話がそれましたが、まあこの理由だけだと橋の意味が弱い気がします。
それに神社では、と言うよりも日本という国では、何かに複数の意味を持たせるというのは多々あります。
だからきっと他にも理由があると思うのです。
簡単な所だと、神様とを繋いでくれる架け橋ですね。
鈴緒(鈴に付いた紐)も神様と繋ぐという意味がありますし、橋にもそういう意味があっておかしくないです。

他には、神の世界とを繋ぐという意味があるかもしれません。
世界を分けるのに河というのはよくある事です。
都道府県市区町村を分けたり、世界の国々も河で分けられていたりします。
橋の向こうを神の国とする為に橋があるとも考えられるわけです。

さて、正解はあるのでしょうか。
いつも通りGoogle大先生で検索してみる事にしました。
『川が無いのに橋がある』で検索してみると、『橋のない川』ばかり出てきます。
Google大先生、日本語をしっかり勉強してください。{笑}

色々検索して感じたのは、やはりその場所には昔、川があったというものです。
神社は歴史を残しておく場所ですから、橋を残す事で昔の状況を記憶しているのです。
実際にそうだという神社もありますからね。
それに川の向こうに拝殿をおくという地理的要素を持った神社も多いです。
そもそもそういう場所に建てたとも考えられるわけです。

ある本に書かれている話からは、やはり端を歩くという意味も込められている気がしますね。
明治22年(1889年)の式年遷宮から、伊勢神宮の参道にある宇治橋は架け替えられるようになりました。
その橋の真ん中には盛り木がされています。
真ん中を歩けないようになっていますね。
伊勢神宮のホームページ
私の考えもまんざら間違いではなさそうです。

他にも、神に近づいてゆくという実感を得るために、普通の道とは違った何かを置くという事がされているようです。
階段だったり、橋もおそらくそうなのでしょう。

私が思った通り、橋には複数の意味が込められているようです。

こうやって調べると、本当に神社は面白いですね。
神社というより、日本という国がでしょうか。
昨日書いた記事ではありませんが、本当に日本っていいなと思います。

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