2017年5月21日日曜日

【神社ブログ】自分の中にある矛盾に気づく 言葉というのは変化していっても良いのだろうか 竹水栓から感じた疑問

昨日は頭が回らず、納得いかないままの記事をアップしました。
そしたら何故か他よりアクセスが多い不思議。{汗}
ネット上の記事って、概ねタイトルが全てを決めるのだろうなとつくづく思います。

さて今日取り上げるのはこちらです。


手水舎(手水所)にある、水を供給する為の竹で作られたものについてです。
これ、なんという名前がついているかご存知でしょうか。
これは『筧(かけひ)』というものです。

この筧から水がチョロチョロと流れ出、鹿威し(ししおどし)に注ぎ込まれる仕掛けを添水(そうず)と言います。
『添水=筧+鹿威し』というわけですね。
添水の事を鹿威しというのが今では一般的かもしれません。

そんなわけで少しハブられている筧ですが、神社では鹿威しを見かける事は少ないです。
私は見た事がありませんし、あるのは概ね筧だけです。
それでこの筧、インターネットで調べると名前が『竹水栓』となっている所が多いのですよね。
これってどうしてでしょうか。
これは水栓柱の竹で作られたものという意味のようで、ある企業の商品名なのだそうです。
水栓柱とは庭や屋外、公園などにある水道です。
高さ50cmくらいの柱の上の方に蛇口がついているものですね。

そんな名前、普通の人は知りません。
だから竹水栓と言われてもまず分からないわけです。
だったらそのまま筧と呼んだ方が商品名としても分かりやすいのではないでしょうか。
何より昔からある名前を変えるようなこういう名前を付けるのは、正直あまり良くないと感じました。

でもちょっとここで自分の感情に疑問を持ちました。
私は以前から『言葉とは時代と共に変わって良いもの』と言ってきたのです。
例えば『食べれる』という言葉、らぬき言葉と言ってよく批判されていますよね。
でも『食べられる』というと、『食べる事ができる』という意味と『誰かに食われる』という二つの意味を持ちます。
だったら『食べれる』と言った方が意味が理解しやすく、その方が良いのではないかと思うわけです。
だから『言葉は変わって良い』と言っていたわけです。
しかし最近神社を巡り、こういう古くからの名前を知ったり、読めない石碑を見るたびに想うのです。
言葉は変わらない方がいいなと。{苦笑}

最近は『食べられる』も変えない方が良いかもしれないとも思うようになりました。
これも神社を巡っていて理解できた事ですが、日本では古くから複数の意味を持たせる言葉や言い回しをする文化があるのです。
それが最近面白いのですよね。
短歌がその代表的なものですが、裏の意味を感じられると嬉しくなってきます。

日本人は昔から言葉に遊び心を取り入れてきたのです。
そういう文化って素敵じゃないですか?

パソコンでタイピングしていると、確かに効率という面ではアルファベットに完全に劣ります。
漢字も沢山覚えなくてはいけなくて、とにかく私は漢字を覚えるのが嫌いでした。
でも神社を巡る中で、実はそこにゲーム性と言いますか楽しさがあるという事に気が付き、これは大切にしたいなと思うわけです。
だから時代と共に言葉が変わっても良いという気持ちも、かなり無くなってきましたね。
変わる部分もあって然るべきだとは思いますが、できるだけ変えない方がいいなと最近は思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿


管理者:秋華Google+   秋華エントランス   サイト説明